モザイクブログ/モザイコカンポ

モザイコカンポ = Mosaico(モザイク の)Campo(原っぱ)。
 
モザイク工房モザイコカンポ(練馬区富士見台駅より徒歩5分)が主宰するモザイク教室・ワークショップ等のご案内や、モザイクに関するお話、日々の雑記等など徒然なるままに書き記すブログです。
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ラヴェンナという街 陸の孤島 歴史の孤島
Buon giorno!
おはようございます。

いかがお過ごしでしょうか?
やはり水と乾パンとラジオを詰めたリュックは必要ですね。

さてさて、今日はラヴェンナという街についてご紹介しようと思います。
第一回の今回は「陸の孤島 歴史の孤島」と題しまして、
ラヴェンナの街の地理的特徴及び歴史的背景を中心にお話を。

ラヴェンナは、アドリア海沿岸にある地方都市です。
エミリア・ロマーニャ州、ラヴェンナ県の県都ラヴェンナ。
人口15万程度。

 ↓これがラヴェンナ県の位置です。
ラヴェンナ県

しかしラヴェンナと聞いて、
すぐに場所や歴史などの情報を頭に思い浮かべる事が出来る人は
かなり少ないのではないでしょうか。

事実、友人などには、
「ヴェネツィアから鈍行列車で3時間ちょい南に行ったところ」
もしくは、
「ボローニャから鈍行で1時間ちょい東に行ったあたり」
と説明しています。

ちなみにヴェネツィアからだと、
フェッラーラかボローニャで乗り換えが必要です。
ローマやミラノからの場合も常にボローニャで乗り換え。
ユーロスターが通る路線から外れてしまっているのが、
ラヴェンナがなかなか観光地としてメジャーにならない原因の一つかも知れません。

それと、私見ですが、
ボローニャ駅にもラヴェンナ駅にもエスカレータやエレベータが無いのは、
ラヴェンナ観光局の大いなる手抜かりではないかと思います。
30キロのスーツケース+10キロリュックを持っての階段上り下りは...
思い出すだに背筋が凍ります。
もし大きな荷物を持ってラヴェンナに行かれる際は、
少しだけ高くつきますが(5ユーロ程度の差かな)、
ボローニャからESLinkというバスに乗られることをおススメします。
このバスならばボローニャ駅玄関右手から出発し、
ラヴェンナ駅玄関まで直行で運んでくれます。約1時間。

列車にしてもバスにしても車窓から見える田園風景は見事です。
なんだか懐かしくなるような、そんな景色です。

さて、やはり地理的に孤立すると、
自ずと文化・歴史も独特なものとなるわけです。
詳細は後述するとして、閑話休題。
ラヴェンナの人達が話す、Romagnoloという方言についてご紹介。
Romagnolo、ロマニョーロは若者はあまり使いませんが、
年配の方はよくロマニョーロを話されます。
イタリア標準語とかなり違って、
私の耳にはむしろフランス語に近いような気さえ。
例えば、プライベートという意味の「Privata」。
イタリア標準語ではプリヴァータ、しかしロマニョーロではプリヴェー。
まだこれは似ている方で、完璧に違う単語じゃないか!というものも多々。
推測に推測を重ねる会話を数限りなくしてきました。
習うより慣れろ。
ロマニョーロを教えてくれるテキストも教室も日本にはないですものね。


さてさて。今度は街の中に、そして歴史に話を移しましょう。

ラヴェンナの中心地、
特にCentro Storico(チェントロ ストーリコ)と呼ばれる歴史保存区域には
多くの歴史的建造物が集まっています。

 ↓街の中心、Piazza del Popolo、市民広場。
ポポロ広場

また町並みも中世の面影を残すものとなっています。
Centro Storicoエリアの建物を建て替えたり修繕したりする場合には
景観を守る為に数多くのルールが定められているんです。
例えば外壁を塗り替える場合は、
決められた色の中から選ばなければならなかったり。

このCentro Storicoの中でも、多くの観光客が足を向けるのはやはり
Basilica di San Vitale(バジリカ ディ サン・ヴィターレ)や
Mausoleo di Galla Placidia(マウソレオ ディ ガッラ・プラチーディア)
などに代表される世界遺産に指定された建築物群ですね。
そしてそれらの見所は、やっぱりモザイク。
ラヴェンナはモザイク無しでは語れません。

何故ラヴェンナがモザイク芸術の首都とまで呼ばれているのか。
それをご説明するにはラヴェンナの歴史をひもとく必要があります。

3行でまとめますと、

ラヴェンナは5世紀に西ローマの首都に定められ、
西ローマが滅びた後は東ゴート王国の首都となり、
6世紀には東ローマ帝国の拠点となりました。

...引っ張りだこでしょう?

このようにラヴェンナが各統治者にモテモテだった理由の一つは、
地の利が挙げられます。
当時は現在よりも海岸線がずっと町の中心近くにあり、
(現在のラヴェンナ駅のあたりは海だったそうです)
交通の便が良く、物資の運搬にも便利で、
そして何より軍港として優れていたのです。

東ローマ、つまりビザンチン帝国の統治下にあって、
ラヴェンナのモザイク芸術は絶頂期を迎えます。
ギリシアやローマの流れをくみながら、東方の装飾性、
さらにはキリスト教的要素をしっかりと内包したビザンチン芸術は、
モザイク芸術の良き母胎となりました。

前述のサン・ヴィターレもこの時期に建立されました。

しかしその後、ラヴェンナは歴史の表舞台から姿を消します。
ローマ帝国の首都から、一気に地方都市へ。
それはサン・ヴィターレを建立したユスティニアヌス1世が死去し、
東ローマ帝国がペルシャとの戦いに集中して、
西にまで目を向ける余裕が無くなった事がキッカケの一つかもしれません。
後に教皇領になり、少々飼い殺されていた感もあるような...
とにかくあまりにも栄華の中心にあった街ならば、
それを邪魔と思う人や集団もあったかもしれませんしね。

とにかく、5,6世紀の繁栄はどこへやら。
海岸線も中心地から遥か遠くに移り、新たな特筆すべき事件は起こらず、
幹線道路からは外され、ユーロスターも通らない。まさに孤島。ぽつねん。
(ちなみに市民広場にあったマクドナルドは数年前に撤退しました)

しかし、何が幸いするかわかりませんね。
歴史からすっかり忘れ去られたおかげで、
5,6世紀に建てられた建築物群、
そしてそれにもれなくついてくるビザンチン影響下のモザイク、
これらがしっかりと今日まで残ってくれているのです。
1500年の時を経て、今から12年前の1996年、
「ラヴェンナの初期キリスト教建築物群」としてユネスコ世界遺産に登録されました。

そして今日に至ります。


いかがだったでしょうか。
駆け足で、少々荒い部分もございましたが、
少しラヴェンナの街を身近に感じて頂けたでしょうか。

まだまだ皆さまにご紹介したい事は山ほどございます。

ラヴェンナ郊外にある湿地帯に残る美しい自然、鳥たち、
食材の宝庫エミリア・ロマーニャ州独特の味覚、お勧めレストラン、
ラヴェンナの四季の変化、街の変化、
街の人達の普段の生活、いつものバールのおじさん、
そしてなによりモザイクについて。

どうぞお時間ございます時に、お付き合いくださいませ。


それでは良い一日を、良い土曜日をお過ごしください。
Buona giornata,Buon Sabato!!
| モザイクの街、ラヴェンナ | 11:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
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